小説「七惑星の記憶」
第四章 七惑星の巫女
(6)
「できます。」
イナンナは毅然とした表情を崩さなかった。「でも、それには大義が要るのです。その魂は、神の国からこの世に呼び戻すだけの価値のある人間のものでなければなりません。そのような魂はまれなのです。」
「大義なら、ある。」
ネルガルが即答すると、フーレイは、え、そうなの、と言いたげな表情で兄の顔を見た。
ネルガルは、マルドックの記憶にあったティアマトが死に至る経緯を説明した。
「・・・イリアスは、古代魔法王朝の魔法使いだ。彼の信仰する神は、七惑星神と考えるのが自然だろう。」
「そう思います。」イナンナが答えた。
「ということは、イリアスと共に神の国に行ったティアマトは、今は七惑星神の下に居るはずだ。」
「七惑星神の国にいるティアマトを呼び戻せば、イナンナの星の掛け合わせに足りないものが分かるかもって事?」フーレイが割って入った。
「そう。七惑星魔法の復活は、このティアマトが鍵を握っているのだ。神の国から呼び戻す価値は大いに“有り”だ。」
「でも、それは・・・。」イナンナが口ごもった。
「分かるぞ。正統な方法ではないというのだな。しかしな、マルドックは神託を待ってはくれない。すぐにでも行動に移さないと、取り返しのつかないことになるのだ。」
「そうよ。生きているうちに何でもやれることをやらなければ、亡くなった人たちが浮かばれないよ。」
イナンナは沈黙したまま、少し二人から距離を取った。
おそらく思案しているのだろう。ネルガルとフーレイは声を掛けなかった。
イナンナは、目を閉じ、祈りの言葉を口にしているようだった。
しばらく祈りの言葉を発した後、イナンナは目を開け、振り向いた。
「あなた方の意見が正しいと思います。自分の未熟さを盾にするのは間違いでした。やれることをやってみましょう。」
イナンナは、霊魂召還の知識は持っていたが、実際に使った事は無いという。
そもそもイナンナがこの寺院で暮らし始めてから15年、遺体がこの寺院に運び込まれた事は無かった。シン達は里の村で病人やけが人の治療は行っていたが、死者の復活は請け負っていなかったし、村人に話す事もしなかったのである。
霊魂召還の儀式は、イナンナの頭脳に克明に記憶されているという。イナンナの記憶には、太古の時代、この寺院のこの地下室で行われていた死者復活の儀式がまるで昨日の事のように存在するのだ。
イナンナはその儀式を忠実に再現するだけだという。
ティアマトの棺は祭壇の前の、大きな台座の中央に置かれた。その台座には六芒星が描かれ、六芒星の頂点には燭台が立てられている。そして、鉄籠に載せられた一本の松明が、棺の上に吊るされていた。
ネルガルが見たのは、その六本の蝋燭と一本の松明に火が灯されたところまでである。
その後の儀式は、“危険が伴う”という理由でネルガルとフーレイは同席できなかった。
「兄さん、どうするつもりなの?」
ネルガルとフーレイは地下室を出て、寺院の中庭の草の上に座り込んでいた。
この中庭からは空が見える。そろそろ東の空が白んでくる時刻だった。
「長い夜だな。」ネルガルが呟いた。
「だってあの娘に会う前は、兄さんは鷹に乗って戦いに行くって言ってたじゃない。もしティアマトの召還が成功してイナンナが本当の“七惑星の巫女”になったら、“奈落の門”の封印に行くつもりなの?」
ネルガルは、黙ったまま顎の無精髭を撫でている。フーレイは眉をひそめた。それはエンリルがよくしていた仕草だったからだ。
「・・・おれにもどの行動が正しいのかはまだ分からない。ティアマトを神の国から呼び戻せば、神の知識を持ち帰ってくれるのではないかと思ったのだが、よく考えてみると、“神託”なんてものは元々無かったのではないかとも思えるんだ。」
イナンナは、修行の最中に突如として心の中に現れる太古の映像の事を“神託”と呼んでいた。
ネルガルは地下室を出る前にその話を聞き、その神託そのものに疑いを持った。
それは、神のお告げというより、瞑想や断食によって脳に刺激を与える事で、もともとイナンナの記憶の底にあるものを掘り当てているだけではないのか、と思えるのだ。
なぜなら、ネルガルに与えられたマルドックの過去の体験は、全て映像で記憶されている。イナンナが“神託”と呼ぶものも、古代王朝時代の記憶の魔法が応用されているに過ぎないのではないか。
「だから、なるべく多くの一族の記憶を結集し、どう行動するのが正しいのかの答えを出すことが、おれに与えられた使命だと思うのだ。ヌディンムトの知識と、“イリアステームの杖”に封じられたマルドックの記憶、そしてイナンナの“神託”を合わせれば最も正解に近いだろう。
だから、イナンナの儀式がどんな結果であっても、ヌディンムトを追う事になるのは間違いない。」
フーレイは、ふうん、と言って少し間をおいた。
「じゃあ、何でティアマトを復活させようとしてるの?」
「七惑星神からの“神託”は、いくら待っていても無い、という裏づけを得る為だ。」
それは嘘であった。
本当の理由は、マルドックが望んでいるから、である。しかし、それを口に出すのがネルガルは怖かった。マルドックの記憶に自分が操られているように感じるからだ。
「兄さん・・あっ!」そのとき、地下室から爆発音が聞こえた。「何!?」
ネルガルはさっと立ち上がり、地下墓地へ繋がる階段を駆け下りた。フーレイも後に続く。
「イナンナ!」
ネルガルが墓地に入ったとき、燭台と松明の炎は青白く輝き、天井まで届きそうなほど高く渦を巻きながら燃え上がっていた。
そして、祭壇の前でイナンナがうつ伏せで倒れている。
ネルガルがイナンナに駆け寄ると炎は急に消滅し、白煙だけが残った。
「どうした!大丈夫か!」
ネルガルがイナンナの体をゆするとイナンナはうっすらと目を開けた。幸い、一時的に気を失っていただけのようだった。
イナンナは我に返り、さっとティアマトの棺を見た。
ティアマトは、依然として眠るように横たわっていた。
「・・・どういう事だ?」
「やはり、私の力不足でしょう。」イナンナは呟くように言った。「召還が失敗すると、遺体は灰になってしまいます。それだけは避ける事ができたようですが・・・。」
イナンナは目に涙を浮かべていた。
「いいのだ、おれが悪かった。無理をさせたな。」
ネルガルは意気消沈するイナンナを励ましたかったが、どう言ったらよいか、見当がつかなかった。
「外の空気を吸いましょ。」フーレイが提案した。
ネルガルはイナンナを抱き起こした。フーレイがそれに手を貸し、地下墓地から出ようとした。そのとき、ネルガルは小さな声を聞いた。
「待ってください。」
ネルガルは、イナンナを見た。イナンナは首を振る。
3人は同時に振り向いた。
そこには、棺から上半身を起こしたティアマトがいた。
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