小説「七惑星の記憶」
第三章 邪悪なるもの
(6)
「600年・・・わしは欺かれ・・・600年もの間、封じられた。」
白い煙のようなものは、渦を巻きながら大きくなり、煙のようにみえる身体から骸骨の頭部と両腕が生えてきた。骸骨の頭部の奥に、二つの赤い目があった。そして、その骸骨の手は巨大な鎌のような武器を持っている。
この怪物は、死霊と呼ばれる不死の存在だ。
マルドックは、幅広の剣を構えた。
死霊は、強烈な心理攻撃をマルドックに与えた。それはマルドックがこの部屋に入ったときに感じた何倍もの怨念の塊だった。
普通の人間なら発狂しているところだろう。しかし、マルドックはその攻撃を凌いだ。
死霊は、実体化している巨大な鎌をマルドックに突き立てた。
マルドックはすばやく身をかわし、煙のような胴体に幅広の剣を叩きつけた。魔力を持つその剣は、煙の胴体を切り裂いた。
死霊は、恐ろしい金切り声を発し、部屋の隅に飛び退いた。
マルドックは間合いを詰め、死霊に剣の切先を向けた。
「ききき、貴様、やめ、やめろォォ!」死霊は吼えた。
マルドックはそれに構わず、すばやい剣さばきで死霊の鎌を粉砕した。
死霊はさらに強力な心理攻撃を仕掛けた。死霊の怨念はマルドックの攻撃で数倍に膨らんでいた。
マルドックの足が止まった。肉体が束縛されたのだ。心は支配されていなくても、動物の肉体は強烈な恐怖を与えられると停止する本能を持っている。
「ぎゃははは!どうだ参ったか!クソ人間よ!」
死霊はその効果に喜び、ぐるぐると天井を飛び回った。
しかし、この束縛の効果は一時的なものだ。足以外の部分は動く事を確認したマルドックにはまだ余裕があった。
マルドックは、冷静に相手の攻撃を分析していた。剣による物理攻撃を行うと死霊の怨念は増し、次の心理攻撃が強くなる傾向がある。このままの方法でダメージを与え続けるのは危険に思えた。
マルドックは腰のベルトに左手をまわした。手の先がベルトに差した短剣の柄に触れた。この短剣は、刃が銀で作られた武器だ。
銀は、邪悪なものを浄化する働きを持つ物質である。銀製品は、魔法の力を借りなくても不死の怪物にダメージを与える事のできる唯一の武器と考えられていた。
マルドックはベルトから短剣をすばやく抜くと、上半身をねじるように回し、その遠心力を使ってそれを投げた。
短剣は死霊に向がって一直線に飛び、骸骨の眉間に突き刺さった。
「ぎゃああああああ」死霊は叫び声を上げて床に落下し、のたうち回った。
マルドックは、怨念が弱くなっていくのを感じた。まだ下半身の束縛は解けないが、時間の問題だろう。
のたうち回るにつれ、骸骨の頭部と腕はぼろぼろに崩れ、床に散らばった。死霊は、今や小さな白い煙の塊となった。
マルドックがその様子を見ていると、白い煙から小さな音が聞こえてきた。
その音は、耳障りな旋律を奏でている。
「ぐ!」
その旋律を聴いたのは迂闊だった。聴いた途端、マルドックに悪寒が走ったのだ。
マルドックの両腕が石のように重くなった。束縛が上半身にも広がったようだ。
『これは、“絶望の女神”の歌声だ。』
“絶望の女神”とは、その名を口に出す事も恐れられる反社会的な神である。その歌声を聴いた人間は恐怖のあまり自ら命を絶つか、発狂するとされる。
マルドックもその女神の召喚術は知っていた。しかし、女神を呼び出した者もその姿を見ただけで発狂する恐れがあり、ましてや支配するのは大変な危険が伴う。マルドックは、今までに彼女の召喚を考えた事はない。
そんな危険極まり無い神を、この死霊は召喚しようというのだ。戦いとなれば、まさに死を懸けたものになるだろう。
歌声は徐々に大きくなる。一刻を争う事態だ。
『この死霊は、いったい何者だ?』
そう考えたとき、マルドックに一つの考えが浮かんだ。
チャロンなのだ。この死霊は、前世は強力な魔法使いだったに違いない。ここに封じられている魔法使い――それは、あの男だ。
マルドックはまだ首から上は束縛されていない事を確認し、声を上げた。
「かつて世界を支配した王に仕えた高貴なあなたが、そのような邪悪な神を呼び出し、何となさいます! イリアス様!」
旋律が止まった。マルドックは賭けに勝ったのだ。
そう。この死霊は、イリアスの魂だったのだ。
小さな白い煙となっていた死霊が、再び床をぐるぐると回り始めた。
「ああ・・・うう。わ・・しの名は、イリアス・・・・。」
「そうです。イリアス様。あなたは、かつてイリアステームを発明し、宮廷を闊歩した偉大なる魔法使いなのです。」
「ううう・・・。そう・・・わしは・・・黄泉の国で静かなる眠りについていたのを・・・・欺かれ・・・600年もの間・・・。」
「そのような恨みはお忘れなさいませ。高貴なあなた様に似合いませぬ。」
「き、貴様・・・。娘の魂を悪魔に売るような男が、何を言うか!」
マルドックはその言葉に驚いたが、それを表に出さないよう、平静を装った。
「申し訳ございません。出すぎた発言でございました。」
「わしは娘が欲しかった・・・。唯一の心残りだったのじゃ・・・。わしはその事を忘れておったのに・・・あの男は・・・。」
マルドックは、死霊の言葉を聞きながら、イリアステームとの戦いで自分の記憶が吸い取られた事を思い出した。イリアステームはこの死霊が操っていたのだ。イリアステームは人の記憶を別の頭脳に移す装置である。そう考えるとマルドックの過去の記憶が死霊に知られている事は不思議ではない。
「マルドック!」死霊は彼の名を呼んだ。
「何でございましょう。」
「わしは、思い出した。」その言葉に応えようとしたマルドックを死霊は遮った。「お前は話す必要は無い。お前の知りたい事は全てわしの頭にある。」
小さな白い煙は形を変え、背の高い、ローブを身にまとった魔法使いの姿となった。口ひげを生やした精悍な顔立ちのその男は、在りし日のイリアスの姿だった。
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