小説「七惑星の記憶」
第二章 空中庭園
(8)
『迂闊だったな。』
この3週間、戦いの相手は全てギリアンゼルの野生動物だった。その為、野営では木々の少ない、なるべく辺りを見渡せる場所を選び、火を絶やさぬ事を心がけていたのだ。
しかし、今夜の敵は弓使いである。森の合間で火を絶やさぬようにしていた事が仇となり、敵は闇の中から自分達に狙いを定めているに違いない。ネルガルはその殺気を肌で感じていた。
立ち上がりざま、身体を転がす。先ほどまで伏せていたところに、三本の矢が突き刺さった。
矢の標的にならないようにするには予測できない動きをするしかない。ネルガルはできるだけ直線運動にならないように転がりながら近くの茂みを目指した。
そうしながら最初の矢に倒れたヌディンムトの方を見ると、天幕で剣の手入れをしていたシャマシュが覆いかぶさるように彼を護り、助け起こしているところだった。飛来した矢がシャマシュに何本か命中したようだが、彼の鎧を貫通しなかったようだ。
ネルガルは潅木の茂みに転がり込んだ。怪我は無い。
幸い野生動物の襲撃に備え、愛用の大剣は背中に掛けていた。その剣を抜き、地に伏せた状態で右手に持った。
ネルガルが茂みから外の様子を伺うと、シャマシュとヌディンムトが広場の反対側の茂みに逃げ込むところだった。ヌディンムトは自力で歩いており、矢の一撃は致命傷ではなかったようだ。
『しかし、この暗さではどうにもならん。』
そのとき、ネルガルの頭にシャマシュの次の手が浮かんだ。シャマシュも自分と同じく、まずこの暗闇を何とかするはずだ、と。
ネルガルは立ち上がり、大剣を両手に持つと、暗闇を凝視した。
そのとき、シャマシュが逃げ込んだ茂みの付近から、花火のような光球が空中に上がっていった。その光球はパチパチという音を立てながら徐々に大きさを増し、森の木々より少し高いところで炸裂した。
その光は稲妻のように付近一帯を照らした。
ネルガルはこの一瞬を待っていたのだ。敵は動物の毛皮で編まれたマントとフードを身にまとい、高い木の枝や茂みの中に潜んでいた。空中で炸裂した光球の元では、弓の弦やフードの隙間からこちらを伺う目がはっきりと見える。ネルガルが敵の位置を知るのに十分な明るさだった。
敵の数は総勢12人である。その多さにネルガルは閉口した。
『蛮族か。』
ギリアンゼルに蛮族が住むという噂は本当だったのだ。そして、敵の本拠で蛮族と戦う事になった不幸を呪った。
ネルガルは、早めにけりをつけるべきだ、と思った。武装した蛮族は、小さな軍隊程度の能力を持つとされる。おそらくここにいる12人は見張りか斥候で、ネルガル達が3人だけだったから仕掛けてきたのだろう。仲間を呼ばれたらとても太刀打ちできない。
ネルガルは敵の潜む一番近い茂みに向かって走り出した。すぐに茂みから二本の矢が放たれる。一本は足元にそれ、額に真っ直ぐに向かってきたもう一本の矢をネルガルはぎりぎりでかわした。弓の欠点は一回の攻撃ごとに矢をつがえ、狙いを定める時間が必要なことである。
その時間は、ネルガルが敵との間合いを詰めるのに十分だった。
ネルガルは蛮族の一人の姿を捕らえた。次の矢が射られるより先に大剣を振るう。敵は持っていた弓でその攻撃を防ごうとしたが、ネルガルは構わず弓もろとも叩き斬り、刃は敵の肩に食い込んだ。その手ごたえを感じると、ネルガルは敵を蹴り倒して剣を引き抜いた。肩口から大量の血を噴き出しながら最初の敵は絶命した。
ネルガルは大剣を構えなおし、茂みを凝視した。敵はもう一人いるはずである。
茂みの中からガサゴソという音が聞こえた。ネルガルの動きを見ていた弓使いの一人が逃げ出したのだ。
ネルガルは猛烈な勢いで敵に追いつくと背後から袈裟斬りで一刀両断にした。
『二人!』
ネルガルは瞬く間に二人の敵を倒したが、その場に止まる事は無かった。敵の潜む次の茂みに向かう。
その茂みからは矢の攻撃は無かった。ネルガルが、妙だな、と思った瞬間、右の木陰から短剣を持った蛮族の一人が飛び出て来た。
ネルガルは首筋を狙ったその攻撃をかわしたが、敵はネルガルとの間合いを取らず、次々に攻撃を仕掛けてくる。この距離を保てば大剣の攻撃は受けない。敵は大きな剣を持った相手との戦い方を心得ているようだった。
しかし、ネルガルは敵の動きを見切っていた。短剣の3度目の首への攻撃をぎりぎりでかわし、大剣の柄を前に突き出しながら踏み込んだ。大剣の柄は敵の顎を捕らえ、相手をぐらつかせた。ネルガルは足を払い、敵が地面に膝をついたのを確認すると剣を振るった。
敵はその攻撃を短剣で受け流そうとしたが失敗し、短剣は暗闇へはじき飛ばされていった。
ネルガルがとどめの一撃の繰り出そうとしたとき、左右から矢の飛来する音を聞いた。
ネルガルは後ろに飛びのいた。そこへ二本の矢が通り過ぎる。
「待て!お前は囲まれている!」
命拾いをした正面の敵が叫んだ。蛮族の声は擦れていたが、正しい共通語だった。
ネルガルは剣を構えたまま動きを止めた。
その言葉は本当だった。ネルガルは短剣の敵との戦いに時間をかけ過ぎてしまったのだ。左右の茂みから二人、前後の木の上から二人の弓使いがネルガルに狙いを定めているのが気配で分かる。
だが、ネルガルは冷静だった。こうなると無傷では済まないが、打開する手立てはまだいくつかある。
「武器を捨てろ!降伏するのだ!」
蛮族がもう一度叫んだ。
そのときである。
ネルガルの周りに生暖かい空気の感触があった。その空気はリンゴのような心地よい香りを運んできた。そしてそれは、ネルガルからスーッと離れると渦を巻きながら敵の周りにだけ充満した。
『ヌディンムト!余計なことを!』
ネルガルは大剣を構えなおした。正面の敵は両膝を地面についたまま、がたがたとふるえている。
ネルガルの剣がその蛮族の首をはねたとき、彼の左右にいた弓使いはバタバタと倒れ、木の上にいた二人はドサリと落下した。
ヌディンムトの“眠りの魔法”の力だった。
→NEXT
|