小説「七惑星の記憶」
第二章 空中庭園
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「“神聖同盟”の崩壊(※1)は、宗主国エルミアのホーロン王が自らを神格化した事がきっかけだった。為政者の神格化というのは、古代王朝では頻繁に行われていたことで、古代の政策に精通し、傾倒していたホーロン王はそれに倣ったようだった。この地域で盛んなペトス信仰を利用し、自らの言葉が神の意思であるとなれば支配者として都合がよいと考えたのだろう。ホーロン王はこれまで神の言葉を伝達する役目を担っていた神殿と政治の中心であった宮殿を統合し、自ら神の子を名乗ったのだ。
わしはホーロン王をゴードン三世公に勝るとも劣らぬお方だと思っておったが、結果的にこの政策は失敗だった。旧来の勢力である神殿の反発を買い、エルミア王国は内戦状態に陥ってしまったのだ。
それに乗じて同盟国の一つであったシースター公国は神殿勢力の側につき、エルミアに出兵した。建て前はペトス神を守ることこそが同盟国の役目であるとしていたが、この侵攻は宗主国の座を狙っての事だ。
しかし戦争は泥沼化し、数回の停戦をはさんで4年にも及んだ。この間、我がリドンのゴードン三世公は、賢明なことにどちらにも加勢せず、人道的な援助のみを行った。
その戦争は意外な形で終わりを迎えた。
突如出現した“奈落の門”がエルミアの全ての人間を飲み込み、家屋を潰し、一夜のうちに都市国家は滅んだのだ。
被害はエルミアだけではなく、町を取り囲んでいたシースター軍にも及んだ。シースターは主要な戦力を失い、目標だったエルミアをも失った。追い討ちをかけるように蛮族の侵攻が重なり、公国は大混乱に陥った。その最中、シースター公エーダは何者かに暗殺されてしまったのだ。
リドン公ゴードン三世は騎士団をシースターに派遣した。リドンの騎士たちは蛮族の掃討を行い、無政府状態になっていたシースターの治安維持を担う事になった。シャマシュは派遣された騎士団の一員だったな。」ヌディンムトがシャマシュの方を見ると彼は無言で頷いた。
「わしは、エルミアに調査団として派遣された。“奈落の門”で滅ぼされた直後の廃墟を見たのはそのときが初めてだった。一言で言えば、そこは虚無だけが支配する空間だった。人がいないのはもちろん、草木まで一本残らず無くなり、崩れた石作りの建物の残骸だけが静かに立ちすくんでいるのだ。
わしはその恐ろしい光景をいまだに忘れる事はできない。
調査を進めると“奈落の門”は徹底的に有機物を搾取した事が分かった。豊かだった土壌は枯れ、農作物が育てられるような土地ではなくなってしまっていた。
ただ、わしはこれを自然現象などではなく、“事件”だと考えている。調査団としてエルミアに滞在中、20年ぶりにマルドックに出会ったのだ。
奴は突然わしの前に姿を現した。紫紺の鎧に身を包んでいたが、その身体は最後に洞窟で見たときと全く変わっていなかった。そしてその目が赤く濁っているのを見たとき、奴はやはり魔人の力を得たのだと分かった。
マルドックがわしの前に現れたのは、わしを懐柔する事が目的だった。奴は“奈落の門”が肥大化した町を潰し続けているのは、古代魔法王朝の復活をスムーズにする為の地ならしであると述べた。
そして、われわれは“門”に生み落とされ、われわれの存在意義は王朝を復活させる為にある、と奴は考えていた。そして、その目的のためにわしやシャマシュも協力するべきだと主張したのだ。
マルドックの主張の根拠は、魔法王朝時代に“空中庭園”と呼ばれる宮廷に住んでいたエルフ族に会い、直接その当時の出来事を聞いた事だった。確かに永遠の寿命を持つエルフがそう言ったのなら信憑性は高い。
しかし、わしはそう考えなかった。この有様を目の当たりにすると、“奈落の門”は古代王朝時代の兵器か暴走した魔法生物としか思えなかったのだ。マルドックの言うような崇高な目的で作られているなら、ここまで徹底して町や人を破壊する必要は無い。
マルドックは魔人に帰依した為にそのような人間的な感性に基づく判断力が弱くなっているのではないかと思った。わしは自分の感性を信じる事にし、マルドックと行動を共にすることを拒否した。マルドックは、『いつかお互いの道が交わるとき、どちらかが消える事になるだろう。』と予言めいた言葉を残し、立ち去った。
わしはリドンに帰還する旅の途中、エルミアの災厄にはマルドックが関与しているのではないかと考えるようになった。調査では、エルミアの町の周囲に巨大な魔法結界を構築した直後に“門”が出現していた事が分かった。エルミア王は数名の魔法使いをかかえていたが、わしの記憶では町を覆うほどの結界を構築する魔力は持っていない者達だった。
わしは、マルドックが魔法結界に関与し、“奈落の門”を呼び込んだ疑いは否定できないと考えた。もしそうならば、奴は町という町に“門”を出現させる手助けをする可能性がある。
わしはリドンを去る決意をした。マルドックが正しいか、自分が正しいか、それを調べる必要があったのだ。“奈落の門”の起源を調べる事は、かつて情熱を燃やしたわれわれの出生の秘密を探る旅でもある。そもそもその為にリドンに仕官したのだが、宮廷の仕事は忙しく、ほとんどその調査はできていなかったのだ。
わしがリドンを去るとき、シャマシュには声をかけなかった。シャマシュは妻を娶り、その妻は出産間近、リドンの地に深く根を下ろしかけていたのだ。しかもそのときはシースターに遠征中だった。
シャマシュよ、確か娘をもうけたそうだが、元気かの?」
シャマシュは目を伏せた。「5年前、疫病が流行ったとき、妻と娘は死んでしまった。」
「そうか。知らなかったとはいえ、申し訳ない事を聞いてしまったな・・・。」ヌディンムトは、はっと顔を上げた。「まさか娘の命運をあの洞窟の魔人は予測しておって・・・。」
「そうかもしれぬ。若くして死ぬ事を見越してあのような取引を持ちかけてきたのかもしれない。ただ、私は魔人と契約していない。私は30年前ペトス神に帰依してから、毎日の祈りを欠かした事はないのだ。娘の死後、ペトスの神託で彼女の魂は神の国にいる事を確認している。」
「そうか、おぬしもいろいろあったのだな・・・。」
ヌディンムトはシャマシュの頭髪がほとんど白髪になっている意味を深く感じた。
※1 ヌディンムトは詳しく述べていないが、神聖同盟とは3都市国家(エルミア王国、リドン公国、シースター公国)の不可侵を基本とするものであったようだ。エルミアの為政者のみ「王」を名乗り、「宗主国」と呼ばれている事から、エルミアを中心とする同盟である事が分かるが、その成り立ちはイリアス・テームに記録されていない。
なお、「ペトス神」はこの地域の民間信仰の神であり、ヌディンムトが折に触れて話す「古代王朝の神々」とは別系統である事に注意されたし。
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